C/C++いっさいなし、Javaだけで開発されたOS - JNode
投稿者 baban 2006/03/06 at 01:10
静止画M@Dを中心にMMDとか、ニコマスを楽しんで気になったことを書き綴っているサイトです、Web新技術投入したがりなのでブラウザは最新版推奨です
MovieセミナーにあるSometimeSomeWhereのアレをM@D Wikiの方に移植しました
というか、Mad関連のコンテンツをゆっくり外に追い出している最中なので、これからも他のコンテンツを何処かに転がし直そうと計画中です
追い出し終わったコンテンツは、ある日ふらっと消える可能性がありますので、そう言うことで一応よろしく!
投稿者 baban 2006/03/06 at 00:34
2001年以前、それまでMAD界隈の情報というのは根性巡回で見かけた断片的な情報を継ぎ合わせて認識にしていくのが主流でした
風の噂は掲示板で転がり、ICQでは「○○さん所の新作オススメ」なんてのを、話し合っていた時代です
それまで、目立たない外野に近い所で存在していた情報系が「M@D Scene;fixed」の登場あたりで変わり始めていた時代でした
ちょうどこんな頃にサイトを建てていた自分。いきつけの掲示板に美凪ちよ氏のサイトがありました
(月ごとにオススメのMADをレビューしているサイトでした)
そしてちょうど夏頃、掲示板でダラダラと話題が流れていた時に美凪ちよ氏が
「MADの投票企画とか、主催しても良いんですけどねぇ」
てな感じの事をカキコしました
…すかさず飛びつきました、私がというわけではなく、私ともう1人、すげぇ収集家(DOMマスターって言葉今でも通用するかな?)F改氏が、その後「M@D Scene;fixed」でも取り上げられて、引っ込みが着かなくなった事で始まったのが、今に続く「あなたが選ぶ、静止画MAD大賞」でした
(前の年には「みゅ~てぃあへぶん静止画MADアンケート」なんかもありましたが、投票数もなんだか少なめで、何より、突発企画のような雰囲気で2001年もやるか分からない。そういう状況の中で、「こういう企画が欲しい」という多くの人の頭の中にあったんです)
そのあと投票形式やサイトをどうするかという話をしたのですが、この年の特徴は次の2つ
(確か美凪ちよ氏とF改氏がどちらも、それでいこうと言ってそれに決まった記憶があります)
しかし、実際始まってみると以外にメールの数が少ない
12/29~1/28までのおよそ一ヶ月の投票期間がありましたが、来るメールはポツポツと散発的
どうしようかと軽く相談した結果。MAD系サイトの掲示板に、書き込みをして企画の宣伝をした記憶があります
そして最終的に集まった票の数は88票(1日2、3票づつ来ている計算ですね)
このとき得た教訓が次の2点
というわけで、これを改めて2002年はポイント制をやめて、また投票方式を掲示板への書き込みへ変更しました
…とまぁ、長々とお話ししました
MAD史書いている途中で静止画MAD大賞の項を書き始めて「何故そのとき、そうしたのか?」というのをどこかに書き残しておかないといけないなぁ…とふと思って書き始めた話だったんですが、書き終わってみると歴史云々の説明はいりませんでしたね(汗
まぁ、多分これで話のレールが本線に乗ったので、次は2002年から2005年までの話をパパッとまとめて出来れば…いいなぁ
投稿者 baban 2006/03/05 at 17:40
ふとM@D Wikiの今の文法ってどうなんだろと思って調べてたら見つかった、結論から言うとPukiWikiの文法はどちらかというとちょっとダサい方、かな?
投稿者 baban 2006/03/05 at 10:06
そもそもココについてお話しておきたかったから始めた話なのに、ドンドン横道に逸れる逸れる…
さて、黄金の2000年を越えて2001年に入った初っ端の1月
この月はMirror氏「Scene[2]SENTENCE」、AK1氏の「Azurewind」等、2001年を代表する傑作に恵まれた月でもあり、またこの月は静止画MADが没落していく始めの月でもありました
あの、1月20日の華音賞の中止。これを境にして、MAD界は冬の時代に入ります
MAD界隈のサイトに送られたKeyからの警告メールにより閉鎖がおこり、ポコポコと「はぬけ」の出て行くサイト
(個人的にはこのとき「狂動画大研究所」の号氏が抜けたのが惜しかったなぁ…)
そして、神月社氏の引退宣言。
そして「Conclude another style -Abyss- infinite rhyme」を最後にしての乃怒亞女嬢の引退
そもそもPremiereの限界に迫りつつあったMAD界隈は、作風としても目新しさを失って、これらを含めて閉塞感が漂っていた時期です
しかし、その裏で2001年というのは、MAD界隈を支えるインフラが整い始めた時代でもありました
例えば、「M@D Scene;fixed」等のMAD情報系
例えば、MADのup情報を載せる「Studio Hampty Dampty」
という時代背景の中でこの年の最後からあるイベントが始まります
あなたが選ぶ静止画MAD大賞2001
というわけで次はここのお話をさせて頂きましょう
投稿者 baban 2006/03/05 at 00:52
ここまでで、おおよそ前後の歴史を話し終えたので、今回は技術面でのオハナシ
2000年度において、MAD作成のツールというのは事実上PhotoShopとPremiereの1択でした
いや、実際には(とみぃ氏の「Abstruct of Kanon」あたりから?)AfterEffectsの存在も知られていたのですが、正直当時すでにPremiere使いの力量は成熟し初めていて
これに追いついて、なおかつAfterEffectsに手を出そうという人間はとても少なかったのです
(あと、当時の人はPhototShopの使い方が上手かった)
そんなわけで、当時のtopの作家というと全員がPremiere使い、コレに99年代後半から見かけられたFinalEffectsの使用が重なって作風が成熟してきていました
(AK1氏とか、今真似しようと考えると気が遠くなるですよ、イヤほんと)
逆にそれは作風の偏りをあらわす訳で2000年も後半になると「PixelPolly」や「風」。「レンズフレア」等のエフェクト一辺倒で同じような作品が量産されている感じがあり、これをいかに抜け出すかというのが焦点のひとつになっていました
というわけで、当時の技術系の作家ではPremireに一部AEを混ぜて作るのが主流。AEで作成することでの利点も人によっては理解されていたのですが、AEに完全移行する人は特に見かけられませんでした
これがはっきり変わったが華音賞でSATURN氏の出した「f_innocent」。ここでAEを使って本格的に作品を作ったことで予選を1位で通過します
(当時はPixelPolly全盛で、AEのシャターですら新しかったのですよ)
じゃあ、これがササッとAEが主流になる原因になるのかというと、そうでもなくって、ここから続いていったS2H氏などの作家さんがAEを使いこなし始めるまで時間がかかるのですけどね
あとは、この時代の各作家と(多分)コレがこの年の代表作と言えそうな物をピックアップしてみましょう
| 作者 | タイトル |
|---|---|
| 捏音たむ | awareness |
| AK1 | Snowflakes |
| 神月 社 | Tomorrow Never Knows The Final Chapter Phase-REAL:TRUTH |
| NATU&AK1&LFY&MIRROR | Winter Planet~Going my way~ |
| 乃怒亞女 | Conclude |
| パリオ | KanosoDanceRevolution |
本当はこれ意外にも紹介したい作品がたくさんたくさんあるのですが、それはまたの機会で。次は2001年代のお話でもさせて頂きましょうか
…気が向いた時に(ぉ
追記:というかね、最後に一つだけ、一つだけ言いたい。木霊さんが懐かしい話し始めてしまうから、ついふっとなって手が動いてしまったではありませんか
「COMIC EDUCATION」とか「mille_nayuki」とか反則
投稿者 baban 2006/03/03 at 11:46